2017年1月30日月曜日

タンザニアの野生動物たち

座るキリン(アル―シャ国立公園で)
睨みあうライオンとバッファロー(ンゴロンゴロ保護区で)

 タンザニアに行ったのは、静かな場所で、のんびりと何もしないで2週間ほど過ごしてみたかったからだが、アフリカの野生動物たちを間近に見ることができるサファリに行かない手はない。 というわけで、アル―シャ国立公園、タランギレ国立公園、それにンゴロンゴロ保護区の3か所のサファリ・ツアーに行った。

 アフリカでのサファリはケニアで経験したことがある。 有名なアンボセリとマサイマラに行った。 動物の種類と数が豊富なケニアと比べると、タンザニアの平原は、ちょっと寂しい。 われわれは幸運だったが、例えば、タランギレは象に会うチャンスのあるところだが、まったく会えないで失望して帰る観光客は珍しくない。 ンゴロンゴロはライオンが一番の見ものだが、やはりタイミングが外れると見ることができない。 一方、ケニアでは大物に会える確率はかなり高い。 象やキリン、シマウマなど集団を形成する動物の群れもタンザニアより、はるかに大きい。 初めてサファリを体験しようという人なら、ケニアの方が確実に楽しめるだろう。 

 タンザニアのサファリは、Big 5 と呼ばれる大物をがつがつと追い求めるより、大自然に身を置いて、動物の1種のヒトとして生きることの意味を静かに感じとってみるのがいい。 ここは、やがて地球全域へ旅立っていく現生人類が誕生した土地でもあるのだから。

 だが、タンザニアでは、ダイナミックな光景ではないが、とても珍しい場面に出会うことができた。 アフリカの野生動物に詳しい人には、どうということではないのかもしれない。 だが、素人目には驚きであった。

 ひとつは、アル―シャ国立公園で見たキリンが座っている姿だ。 キリンというのは決して座らない動物だと信じきっていた。 動物園のキリンだって、いつも立っている。 そもそもキリンの背が高いのは、広大な平原で遠くを見渡し、外敵をいち早くみつけられるように進化したからではないか。 眠るときも立ったままで、深い眠りに入るのはごく短時間と習ったはずだ。

 ガイドの説明によれば、アル―シャ国立公園に、キリンの唯一最大の外敵であるライオンはいない。 このため、キリンは警戒をする必要がないから、のんびりと座っている。 ここではキリンが座っている姿が普通に見られるという。 これは、ある種の退化ではないか。 文明のおかげで便利な生活ができる現代人のように。

 もうひとつは、ンゴロンゴロ保護区で遭遇したライオンとバッファローの緊張みなぎる睨みあいだ。

 われわれが草原に座る5頭のライオンをみつけたとき、彼らは150mほど離れたところに群れている約20頭のバッファローに狙いを定めていた。

 1頭の雌ライオンがバッファローににじり寄っていく。 やや遅れて、他のライオンもバッファローに迫っていく。 最初のライオンは1頭のバッファローまで10mほどのところまで接近しダッシュした。 だが、バッファローは素早く身をひるがえして逃げた。 ライオンの爪が到底届かない十分な余裕があった。 バッファローの群れは一斉に走り、ライオンから100mほどの安全な距離をとった。 ライオンの狩りは完全な失敗。

 だが、ドラマはこれで終わらなかった。 逃げたバッファローの群れがライオンに向かって戻りはじめたのだ。 先頭は、最初にライオンの標的になった1頭。 次第に距離を縮め、間隔はほんの10mになった。 ここでバッファローは立ち止まり、後続の群れも動きを停めた。 ライオンとバッファローの睨みあいが始まった。 バッファローの反撃だ。 

 ライオンたちも座ったまま動かなかった。 バッファローに襲いかかろうとはしない。 仕留める自信がないのだろう。

 双方がじっとしたまま30分はたっただろうか。 何頭かのライオンは腹を上にして、地べたに背中をこすり始めた。 明らかに戦意を喪失した動作。 バッファローたちは、それをみつめている。

 それから、さらに30分。 ライオンの群れはゆっくりとバッファローから離れ、遠くへ去っていった。 バッファローがライオンとの心理戦に勝ったのだ。 彼らはその場に動かず、何事もなかったように草をはみ始めた。 ライオンのメンツは丸潰れだ。

 「百獣の王ライオン」というイメージと常識が見事に崩れ落ちた。 ライオンがいつも勝てるわけではなかったのだ。 野生動物の世界は奥が深い。 自然界ではか弱い動物であるヒトが地球を支配できるのも、この奥深さのせいだろうなあ。

2017年1月28日土曜日

北海道からアフリカまで膝痛の脚を引きずる

(タンザニア・アル―シャのダウンタウンで)
北海道の夕張へ2泊3日でスキーに行って東京に戻ってきたのが12月19日。 その前に、スキーのために体の準備をしておこうと、膝痛があったのに1週間ほど頑張ってジョギングをしたのが失敗だった。 膝痛が悪化し、スキーをしてさらに痛くなった。 

 それから3日後の12月22日、以前から予定していた東アフリカのタンザニアへの旅行に出発した。 膝が痛いままだったので、登山用の折りたたみストックを突きながら、Ethihad 航空で25時間という気の遠くなるような長いエコノミークラスの旅だった。 なにしろ格安チケットなのだから仕方ない。 成田→アブダビ→ナイロビ →キリマンジャロというルートで、最終目的地はタンザニア北部、キリマンジャロ登山や野生動物サファリツアーの拠点として有名なアル―シャだ。

 近ごろ、飛行機に乗るには執拗なセキュリティ・チェックがあるから、登山用ストックを機内に持ち込めるか、ちょっと心配した。 ストックでも客室乗務員の頭を叩いてケガをさせるくらいはできる。 だが、ぜんぜん問題はなかった。 とにかくストックを持っていて良かった。 2度のトランジットで空港ターミナルの階段を昇り降りするとき、最後に到着したキリマンジャロ空港の急なタラップを降りるときも、とても助かった。

 とにかく、片足を引きずりながらアフリカに到着し、 夕方の空港から臨んだキリマンジャロの美しさに感動した。

 アル―シャは、日本や東南アジアの基準からすれば小さな田舎町だが、タンザニア独立の歴史が刻まれた由緒ある土地でもある。

 1964年に発足したタンガニーカとザンジバルによる2つの国家の連合が、同年「タンザニア連合共和国」になるのだが、この国家連合が宣言されたのはアル―シャだった。 その前に1961年、タンガニーカが宗主国イギリスからの独立を宣言したのもアル―シャだった。 そして1967年、初代大統領ジュリウス・ニエレレの社会主義化は「アル―シャ宣言」で始まった。

 人口約42万。 市の中心部には、ホテルやビジネスのビルが建っているが多くはない。 道路の交通量はそこそこにあるが、バンコクやジャカルタのようにクルマが身動きできなくなるような渋滞はない。 庶民の主たる交通機関は「ダラダラ」。 日本製の8人乗りワゴン車の座席を改造し、20人くらい詰め込む。 停留所はあるが、どこでも手を挙げれば止まってくれるし、降りたいところで降ろしてくれる。 1乗り400シリング、20-30円といったところ。 これは便利で、アル―シャ滞在中は毎日のように乗っていた。 

 道路を走っているクルマのほとんど、100%ではないが間違いなく95%以上は日本製で、かなりの数が日本から運ばれた中古車だ。 日本のどこかの介護老人ホームの名前と電話番号が車体に大く書かれたままのダラダラがとても目についた。

 ニエレレの社会主義化以来、中国との関係が深く、1人当たりGDPが1400ドル程度の貧しいタンザニアは、中国からかなりの経済支援を受けている。 キリマンジャロ空港とアル―シャを結ぶ主要道路はあちこちで大規模な改修工事が行われ、寸断されていた。 この工事も中国の支援によるもので、現場で大型重機を操縦しているのは中国人ばかりだった。 現状は、中国が日本車普及のために道路建設をしているようなものだ。

 アル―シャに道路交差点の交通信号は4か所しかない。 つまり、ないも同然。 歩行者はクルマの流れを見ながら、あいまを縫って道路を渡る。 これは日本を除けば、どこの国でも同じようなもので、とくに途上国では、クルマは歩行者がいようが止まってくれないので、渡るタイミングを習得しないと日常生活に支障をきたす。

 アル―シャに到着した翌日、早速、ダウンタウンの散歩にでかけた。 道路を歩いて渡るタイミングの計り方は、東南アジアや中東で習得し、お手のものだから困ることはない。 

 朝起きたら膝痛がかなり改善していたので、ストックは畳んでバッグにしまっていた。 だが、しばらくすると疲れのせいか、痛みが少しぶり返してきたので、ストックを出して使い始めた。 そのうちに、ふと気が付いた。 クルマがたくさん走っているのに、なんだか横断が簡単にできるようになったなあ、と。

 そう、ストックを突いて足を引きずっている歩行者を見て、たいていのクルマが徐行したり、停車してくれていたのだ。 途上国の弱肉強食の道路、「大きい」「高級」がクルマの中でも最強で、歩行者が最弱という交通ルールのもとで、おそらく初めての経験だった。

 歩行者を蹴散らすように走る高級車への反感がちょっと緩んできた。 金持ちだろうと優しい心は持っている、当たり前のことだが、新鮮な発見をした思い。

 そう言えば、アル―シャの街のデコボコの歩道を行く車いすのヨーロッパ人旅行者を見た。 不自由なからだでの旅行は苦労するに違いない。 だが、ハンディキャップがあっても健常者が想像する以上に、通りすがりの人々が助けてくれるのかもしれない。

 膝痛とストックでのほんのわずかな体験だけで、世の中をそこまで楽観的に見てはいけないのはわかっている。 だが、アル―シャの歩道より、もっと酷いカイロやバンコクでも、車いすの欧米人旅行者をみかけることはあった。 決して珍しくはない。

 からだの不自由さにおじけづかず行動する勇気、そういう彼らを見守る優しい人たち。 本当は、人間たちの心はとても美しい。 などと結論付けるほどロマンティストではない。 だが、埃っぽいアル―シャの通りを歩くのが、なんとなく気持ち良かった。